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7 章 ナザレのイエス 408 イエスの 誕生 今日 ダビデの あなたがたのためにがおまれになったこのこそ メシアである ルカ2:11なじみの「クリスマス物語」マリア、ヨセフ、 飼い葉桶の中の赤ん坊、天使、羊飼い、星、占星 術の学者を、単一の物語だと思うかもしれ ない。しかし、イエスの誕生は四福音書のうちマタイとルカ の福音書にしか記されていない。よく知られている誕生物語 は、実際には両福音書の内容を組み合わせたものだ。 マタイとルカによる誕生物語 誕生物語を深く理解するには、二つの「幼少物語」 (マタ 1-2, ルカ1-2を別々に読む方がよいだろう。両福音書は、宗教 的、文化的に異なる背景を持つ読者層を対象にしているから だ。マタイによる福音書は、ユダヤ人キリスト教徒を主な対 象にし、ルカ福音書は、基本的にユダヤ人以外の異邦人キリ スト教徒を対象にしている。さらに、イエスの言動を目撃し た人、伝え聞いた人がいるという献呈の言葉(ルカ1:1-4から 分かるように、両福音書は、実際の出来事の数十年後に記さ れている。こうした事情を把握しておけば、両福音書の様々 な強調点について理解が深まるだろう。 ルカが記す受胎告知 ルカ福音書には、 「受胎告知」の話が二つある。受胎告知は、 重要人物の誕生を天使が告げるものだ。ヘブライ語聖書のよ うに神自身が来る(創16, 21, 22, 3ことはなく、信心深い人に 天の使者(ギリシア語のアンゲロス、「天使」の意)を通し て神のメッセージが伝えられる。 最初の受胎告知(ルカ1:5-25は重要性こそ低いが、福音書 の冒頭で物語の舞台を整える役割を担っている。ユダヤ人祭 司ザカリアと、その妻で不妊症のエリサベトが紹介された後、 天使が現れる。天使はザカリアに、神はエリサベトを、不妊 という恥をそそがれるにふさわしい者と認めたと伝える。そ して、授かる子をヨハネと名付ける こと、その子は「聖霊に満たされて いて」 (ルカ1:15人々にメシアを迎え る準備をさせるのが役目だと告げ る。冷笑的な年老いた祭司ザカリア は事態に対応できず、天使の言葉を 信じなかったとして喋れなくされて しまう。ようやくザカリアが喋れる ようになったのは、子供が生まれた 後、その子をヨハネと名付けると筆 談で意思表示してからだ(ルカ 1:57-66。神の力が働いたと分かった ザカリアは、ベネディクトゥスと呼 ばれるようになる賛歌で神を称える 「ほめたたえよ、イスラエルの 神である主を。主はその民を訪れて 解放し」た(ルカ1:67-79ザカリアの物語に挟まれて、はる かに重要な受胎告知が記されてい る。天使ガブリエルがナザレのおと めマリアに現れる(ルカ1:26-38有名 な場面で、何世紀もの間、芸術的に 解釈され続けてきた。この受胎告知 は、エリサベトの妊娠から「六か月 目に」という前置きの言葉で、最初 の受胎告知と関係付けられている。 二つの物語には類似点が多い使ガブリエルが現れたこと、受胎は 神の計画であること、告げられた人 は「恐れることはない」という言葉 で安心させられていること、子供と ともに聖霊がいること、子供が果た す役割の概要が知らされること、神 が子供を命名していることだ。 だがマリアの場合、メッセージは 〔下〕キリスト降誕の物語が彫 られた象牙のレリーフ。イエ ス誕生にまつわる登場人物に 囲まれ、聖家族がくっきりと 浮き出ている。

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第 7章 ナザレのイエス

408

イエスの誕生今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:11)

お なじみの「クリスマス物語」―マリア、ヨセフ、飼い葉桶の中の赤ん坊、天使、羊飼い、星、占星術の学者―を、単一の物語だと思うかもしれ

ない。しかし、イエスの誕生は四福音書のうちマタイとルカの福音書にしか記されていない。よく知られている誕生物語は、実際には両福音書の内容を組み合わせたものだ。

マタイとルカによる誕生物語 誕生物語を深く理解するには、二つの「幼少物語」(マタ1-2, ルカ1-2)を別々に読む方がよいだろう。両福音書は、宗教的、文化的に異なる背景を持つ読者層を対象にしているからだ。マタイによる福音書は、ユダヤ人キリスト教徒を主な対象にし、ルカ福音書は、基本的にユダヤ人以外の異邦人キリスト教徒を対象にしている。さらに、イエスの言動を目撃した人、伝え聞いた人がいるという献呈の言葉(ルカ1:1-4)から

分かるように、両福音書は、実際の出来事の数十年後に記されている。こうした事情を把握しておけば、両福音書の様々な強調点について理解が深まるだろう。

ルカが記す受胎告知 ルカ福音書には、「受胎告知」の話が二つある。受胎告知は、重要人物の誕生を天使が告げるものだ。ヘブライ語聖書のように神自身が来る(創16, 21, 22, 出3)ことはなく、信心深い人に天の使者(ギリシア語のアンゲロス、「天使」の意)を通して神のメッセージが伝えられる。 最初の受胎告知(ルカ1:5-25)は重要性こそ低いが、福音書の冒頭で物語の舞台を整える役割を担っている。ユダヤ人祭司ザカリアと、その妻で不妊症のエリサベトが紹介された後、天使が現れる。天使はザカリアに、神はエリサベトを、不妊という恥をそそがれるにふさわしい者と認めたと伝える。そ

して、授かる子をヨハネと名付けること、その子は「聖霊に満たされていて」(ルカ1:15)人々にメシアを迎える準備をさせるのが役目だと告げる。冷笑的な年老いた祭司ザカリアは事態に対応できず、天使の言葉を信じなかったとして喋れなくされてしまう。ようやくザカリアが喋れるようになったのは、子供が生まれた後、その子をヨハネと名付けると筆談で意思表示してからだ(ルカ1:57-66)。神の力が働いたと分かったザカリアは、ベネディクトゥスと呼ばれるようになる賛歌で神を称える―「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し」た(ルカ1:67-79)。 ザカリアの物語に挟まれて、はるかに重要な受胎告知が記されている。天使ガブリエルがナザレのおとめマリアに現れる(ルカ1:26-38)有名な場面で、何世紀もの間、芸術的に解釈され続けてきた。この受胎告知は、エリサベトの妊娠から「六か月目に」という前置きの言葉で、最初の受胎告知と関係付けられている。二つの物語には類似点が多い―天使ガブリエルが現れたこと、受胎は神の計画であること、告げられた人は「恐れることはない」という言葉で安心させられていること、子供とともに聖霊がいること、子供が果たす役割の概要が知らされること、神が子供を命名していることだ。 だがマリアの場合、メッセージは

〔下〕キリスト降誕の物語が彫られた象牙のレリーフ。イエス誕生にまつわる登場人物に囲まれ、聖家族がくっきりと浮き出ている。

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イエスの誕生

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「神から恵みをいただいた」(ルカ1:30)マリアに直接届けられ、子供は「神の子」と呼ばれると告げられる(ルカ 1:35)。ザカリアと違い、マリアの質問は指示を仰ぐためであるし、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)という応答は完全服従を示すものだ。マリアが、親類のエリサベト妊娠の知らせをもすっかり受け入れていることは、天使の言葉を信じ、急ぎエリサベトを訪ねて挨拶するという適切な行動をとったことで分かる。二人の女性の信頼と理解に満ちた挨拶は、胎内の子供たちのつながりを象徴する。子供たちは将来、世の贖いという使命を通してつながるのだ。受胎物語の終わりは、マリアが声高らかに歌う賛歌(マグニフィカート)で閉じられる。ザカリアのベネディクトゥスと並び称される賛歌(ルカ1:46-55)でマリアは、「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」と歌う。こうしてルカ福音書での、救い主誕生のお膳立てが終わる。

マタイが記す受胎告知 一方マタイは、受胎告知をどう描いているだろうか。冒頭からルカとは大きく違い、ユダヤ民族の父祖アブラハムから始まるイエスの系図を追っている(マタ1:1-17)。ルカも系図を記すが、イエスが宣教を始めたという記述の後だ。また、イエスから直系の先祖をたどり最初の人間アダムに至るという書き方も、マタイとは異なっている(ルカ3:23-38)。 マタイが記すイエス誕生までの話(1:18-25)は、ルカよりはるかに短いが、同じく「受胎告知」の形式をとっている。当惑するヨセフに天使は、「恐れず」にいるよう呼びかける。ヨセフはマリアと婚約していたが、まだ同居はしていなかった。それなのにどうして妊娠しているのか。天使は、マリアは「聖霊」によって妊娠したと説明する。さらに、子供はイエスと呼ばれるが、それは先祖のダビデ(マタ1:1, ルカ1:32)と同じように、神の民の「救い主」になるからだと告げる。ただし、ルカの描く天使が、はっきり目覚めている人と対話しているのに対し、マタイは、天使が夢の中に現れたとしている(1:20)。マタイ福音書では他にも 3ヶ所(2:12, 13, 19)で、神が夢の中で指示を与えている。 天使の訪れの箇所は、マタイが何度も繰り返している書き

方で終わる。マタイは苦心して、福音書を読むユダヤ人キリスト教徒に、起こっている出来事はすべて、神が自らの民に対して立てた計画を達成するためだと指摘する。そのために、旧約聖書の聖句を頻繁に引用する。この場面では、「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(マタ1:23)と引用している。

ベツレヘムへの旅 マタイは、ベツレヘムへの旅については何も言及していない。マリアとヨセフが最初からベツレヘムに住んでいたとして書いているようだ。ルカも、イエスはベツレヘムで産まれたという根強い伝統に沿い、イエス誕生時に両親がベツレヘ

〔上〕ルカ・シニョレッリ『洗礼者聖ヨハネの誕生』。ヨハネの誕生には、キリスト誕生との類似点があった。父ザカリアに、男子誕生を約束する受胎告知があったのだ。

〔左〕ウスタシュ・ル・シュウール『受胎告知』。天使がマリアに神のメッセージを伝えた瞬間の強烈さが表現されている。マリアは、自分に託された使命を知った。

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第 7章 ナザレのイエス

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ムまで旅をしてきた、とせざるをえなかった。そして、イエス誕生を世界との関わりの中に位置付けて物語を構成し、旅の理由を説明している。 これに先立つザカリアとエリサベトの物語は、ヘロデがユダヤを統治していた頃とされている(ルカ1:5)。しかし、ルカは救い主の誕生を世界的に重要な出来事と考え、背景設定にローマ帝国を加え、アウグストゥス帝のもとキリニウスがシリアを統治していた頃とした。アウグストゥスの治世は紀元前27年~紀元14年、キリニウスのシリア州総督在任期間は紀元 6 ~ 7年だ。イエス誕生も同時期と考えられる。だがヘロデ大王の治世は紀元前37~ 4年だ。マタイ、ルカともヘロデに触れており、キリニウスに関する記述より信憑性が高い。つまりキリニウスに関する記述が不正確か、言及されている住民登録は、キリニウスの総督就任以前のものということになる。いずれにせよイエス誕生は紀元前 7 ~ 6年頃だ。 ルカにとって重要なのは細かい点ではなく、イエスの救いが当時知られていた全世界に向けられていると周知することだ。福音書の背景設定にローマ帝国を加えることで、マリアとヨセフがナザレからダビデの町(ルカ2:4, 11)ベツレヘムへと旅をした理由も説明できる。ルカによれば、アウグストゥスは勅令を出し、ローマ帝国の支配下にある者全員に、「自分の町」に出向いて住民登録するよう義務付けた(2:1)。「ダビデの家」に属する(ルカ1:27, 32, 2:4)マリアとヨセフは、ベツレヘムに向けて南に旅したのである。 ナザレ―ベツレヘム間は直線距離で約110kmある。今日でさえ、ヨルダン渓谷沿いに進んだ後に西進しエルサレム経由でベツレヘムに入る通常ルートは、これよりもやや距離が長い。当時の一般的な旅行手段は、隊商に同行することだった(アメリカの西部開拓民の移動を思い浮かべれば、そうかけ離れてはいない)。

宿屋には泊まる場所がない ユダヤに住民登録で人々が殺到したのなら、ベツレヘムで「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」(ルカ2:7)のも不思議ではない。これは納得できる説明かもしれないが、ルカにとって主な関心事は、イエスがその出生からして貧しい人々と連帯していると示すことだ。さらに、貧しい人々との連帯という中心テーマは、イエスが産まれた場所の質素さで強調されている。ルカは、マリアが「初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」と記す(2:7)。ルカ福音書で貧しい人々は、神の愛と関心を優先的に受ける対象として描かれている。ルカは、少数の金持ちを排斥してはいない。だが、金持ちに対し、受容の精神と、立場の弱い人々や貧しい人々への寛大さを持って生きるよう訴えている。

羊飼いと天使 貧しい人々へのこのような好意から、ルカは一介の羊飼いに、イエス誕生の最初の目撃者という名誉を与えている。マリアによる、主が「身分の低い者を高く上げ」(ルカ1:52)るという預言はすでに成就しているのだ。 ガブリエルとは別の天使がさらに現れたのは、そのような羊飼いたちのもとだ。今度の天使は、おそらく強い光の形態をとった「主の栄光」とともに現れた(ルカ2:9)。旧約聖書での、主の栄光を光で表すという発想は、シェキナー(神の臨在)と結び付いている(民14:21, エゼ43:2, 出33:18-22)。神の存在は肉眼では直接認識できないが、目に見える光で象徴される。ルカは、今や神は自らの民の中で、飼い葉桶に寝かされた乳飲み

〔上〕王ダビデとイエス生誕の地―ベツレヘムの町は、聖書の物語で何度も重要な役割を担った。

〔右〕リュック・オリバー・メルソン『ベツレヘム到着』。人々があふれる町での、徒労に終わった宿屋探しが描かれている。

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ヨセフとマリア、住民登録のためベツレヘムに向けて出発。

ヨセフ、マリアそして幼子イエス、エジプトに脱出。

家族そろってナザレに帰る。

天使がヨセフに、安全のため家族を連れて逃げるよう警告する。

ヘロデが死に、家族は安全に戻れるようになる。

イエスが生まれ、飼い葉桶に寝かされる。

エスドラエロン平野

ユダヤの荒れ野

シャロン平野

エバル山

タボル山

ゲリジム山

カルメル山

デ カ ポリス

ガ ウ ラ ニ ティス

ガ リラ ヤ

サ マリア

ユ ダ ヤ

イド マ ヤ

ペ レ ア

ガリラヤ湖

死海

ハロド川

キション川

ヨルダン川

ヤボク川

ヨルダン川ワジ・ファリア

ヤルムク川

アルノン川

ヘブロン

ベトサイダ

ヒッポス

ネアポリス

スキトポリス

セバステ(サマリア)

ファサエリス

メデバ

アンティパトリス

カイサリア

アポロニア

アスカロン

ヤムニア

アゾト

カファルナウムプトレマイス

ゲネサレト

セッフォリス

ドラ

ナザレ

ベエル・シェバ

ベツレヘム

ガザ

エリコ

エルサレム

ヤッファ

10 miles0

10 km0

ヘロデ王国の領土聖家族のエジプトへの逃避経路聖家族のエジプトからの帰還経路場所が確認されていない町

聖家族の旅

35°

32°ヨルダン川西岸地区

イスラエル

エジプト

ガザ地区

ヨルダン

シリア地中海

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イエスの誕生