イタリア半島中部におけるCeramica comune da...

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85 イタリア半島中部における Ceramica comune da fuoco/tegame の編年研究 La Ceramica Comune da fuoco “tegame” in Italia centrale 岩城克洋 IWAKI Katsuhiro 要旨 いまだ研究対象として取り扱われるようになってから日が浅い Ceramica comune da fuoco は、その膨大な出土量にも関わらず、報告書に記載される情報はごくわずかで あり、かつまた形状変化にも乏しいことから、胎土分析による産地同定という手法が主流 を占め、編年研究にはあまり関心がはらわれてこなかった。特にイタリア半島中北部は、 エトルリア研究が盛んな土地柄もあって、他地域に比べて一段と研究が立ち遅れている。 本論では、比較的研究が進展し情報量も多い、中南部ヴェスヴィオ山周辺地域の資料と中 北部の内陸テヴェレ川沿岸地域の資料を活用し、そこに独自資料として、筆者本人が分析 した、タルクィニア市所在別荘遺跡出土の膨大な土器資料を新たに加え、特に情報不足の 著しい4世紀から6世紀頃を重点的に、新たな地域編年を構築するものである。 Terra sigillata、Vernice nera などの精製土器や、ローマ時代流通システムの要とも言 えるアンフォラといった他の土器群に遅れること暫く、1990 年代後半頃から、本論で対 象とする Ceramica Comune (以下 CC と略す)の研究が盛んになってきた。CC が遺跡か ら出土する遺物の中に占める量的割合は、建築部材やアンフォラといった大型土器類の次 に多く、建築部材やアンフォラが、大型であるがゆえに、現時点では研究対象として取り 扱いようのない大量の胴部破片で、その量的優位を保っていることを考えれば、研究対象 となりうる個体数では、CC が圧倒的優位にあることは間違いない。ただ、残念なことに、 CC には、他の遺物種に比べると非常に変化に乏しいという、研究対象としては、重大な 欠点がある。このことが、現在まで CC 研究に取り組む上での足かせと考えられ、研究者 から敬遠される原因となってきた。量的な優位を活用して、この欠点を克服するだけの、 新しい視点の研究法が求められていると言えるだろう。 筆者は東京大学が 1992 年から 2004 年まで行ったイタリア共和国タルクィニア市におけ るローマ時代の別荘遺跡 1) 発掘調査 2) に参加し、出土した膨大な土器資料を分析する機会 を得た。分析作業は未だごく一部についてしか行えていないが、それでもこれまでの CC 研究における資料不足を大きく補え得るだけの成果が得られた。また、試験的に一部の区 画について、当該資料の全量分析の際に、資料の図化率を大幅に引き上げた。これらを数 世紀単位の長い期間を念頭において概観すると、今まで全く脈絡が感じられなかった資料 群の中にいくつかのまとまりがあるのではないかという感触も得た。本論では、その成果 の一部を用い、Ceramica comune da fuoco (以降、CCF と略す)の中から tegame =浅鍋 (以下、本論内では浅鍋と記述する)を選んでその編年の構築を試みる。 1) 正式な遺跡名称は、Villa romana di Cazzanello であり、VRC と略記される場合もある。 2) 青柳 1993・1994・2005、Aoyagi, M. 1995-2005.

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イタリア半島中部におけるCeramica comune da fuoco/tegame の編年研究La Ceramica Comune da fuoco “tegame” in Italia centrale

岩城克洋 IWAKI Katsuhiro

要旨 いまだ研究対象として取り扱われるようになってから日が浅いCeramica comune da fuoco は、その膨大な出土量にも関わらず、報告書に記載される情報はごくわずかであり、かつまた形状変化にも乏しいことから、胎土分析による産地同定という手法が主流を占め、編年研究にはあまり関心がはらわれてこなかった。特にイタリア半島中北部は、エトルリア研究が盛んな土地柄もあって、他地域に比べて一段と研究が立ち遅れている。本論では、比較的研究が進展し情報量も多い、中南部ヴェスヴィオ山周辺地域の資料と中北部の内陸テヴェレ川沿岸地域の資料を活用し、そこに独自資料として、筆者本人が分析した、タルクィニア市所在別荘遺跡出土の膨大な土器資料を新たに加え、特に情報不足の著しい4世紀から6世紀頃を重点的に、新たな地域編年を構築するものである。

 Terra sigillata、Vernice nera などの精製土器や、ローマ時代流通システムの要とも言えるアンフォラといった他の土器群に遅れること暫く、1990 年代後半頃から、本論で対象とするCeramica Comune(以下 CCと略す)の研究が盛んになってきた。CCが遺跡から出土する遺物の中に占める量的割合は、建築部材やアンフォラといった大型土器類の次に多く、建築部材やアンフォラが、大型であるがゆえに、現時点では研究対象として取り扱いようのない大量の胴部破片で、その量的優位を保っていることを考えれば、研究対象となりうる個体数では、CCが圧倒的優位にあることは間違いない。ただ、残念なことに、CCには、他の遺物種に比べると非常に変化に乏しいという、研究対象としては、重大な欠点がある。このことが、現在までCC研究に取り組む上での足かせと考えられ、研究者から敬遠される原因となってきた。量的な優位を活用して、この欠点を克服するだけの、新しい視点の研究法が求められていると言えるだろう。 筆者は東京大学が 1992 年から 2004 年まで行ったイタリア共和国タルクィニア市におけるローマ時代の別荘遺跡1)発掘調査2)に参加し、出土した膨大な土器資料を分析する機会を得た。分析作業は未だごく一部についてしか行えていないが、それでもこれまでのCC研究における資料不足を大きく補え得るだけの成果が得られた。また、試験的に一部の区画について、当該資料の全量分析の際に、資料の図化率を大幅に引き上げた。これらを数世紀単位の長い期間を念頭において概観すると、今まで全く脈絡が感じられなかった資料群の中にいくつかのまとまりがあるのではないかという感触も得た。本論では、その成果の一部を用い、Ceramica comune da fuoco(以降、CCFと略す)の中から tegame =浅鍋(以下、本論内では浅鍋と記述する)を選んでその編年の構築を試みる。

                1) 正式な遺跡名称は、Villa romana di Cazzanello であり、VRCと略記される場合もある。2) 青柳 1993・1994・2005、Aoyagi, M. 1995-2005.

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人文社会科学研究 第 20 号

1.研究の現状と対象資料

 CCに関する研究は、まずCeramica comune da mensa (以降、CCMと略す)から始まった。食卓用の水差しや簡素な食器類、すり鉢やボウルなど、火気に関わらない調理用具類、食料や調味料を保存するための大小さまざまな容器類といったように、非常に広範囲の対象物を包含する一群である。これらは出土量が多い上に、CCFに比べれば比較的短いスパンで器形変化が起こるため、研究対象として取り扱いやすいという特徴があった。最近では、保存・貯蔵用容器類をCeramica comune da dispensa(以降、CCDと略す)として独立した研究対象とする動きや、ランプと同様に、その製法・機能両面での特殊性から、すり鉢(mortaio)を独立した対象として捉える研究も見られるが、まだ一般的とまでは言えず、CC研究分野においてCCM研究が先行している状況は変わらない。それに対して、CCFは、機能から見て大まかに分ければ、蓋・浅鍋・深鍋・耐熱容器・耐熱皿の5つと、CCMに比べればはるかに器種が少ない上に、その用語の定義すらもいまだにはっきりとは定まっていない。数少ない専門研究のほとんどが、胎土面からのアプローチを重視したものであるという現状である。このような現況の中で、研究成果の蓄積といえるものはまだ少ない。胎土の分析研究はともかくとして、編年研究はほとんどないと言っていいだろう。本論が主たる対象とするイタリア半島中北部ではさらに、ほとんど全ての考古学的注意と関心が、エトルリア研究に向けられてきたという、地域的な悪条件もある3)。そんな中、中南部カンパーニャ州や、より近くでは、エトルリアの主要地域を若干はずれた内陸の山間部では、発掘調査にともなうCCF資料の報告例が増えてきている。周辺部から遠巻きにではあるが、少しずつCCF研究をめぐる資料不足の問題は改善されつつあるといえるだろう。 第1図は今回分析対象に使用した土器が出土した遺跡の位置を示す。Crypta Balbi 4) と Carminiello ai Mannesi5)が、それぞれローマ、ナポリという大都市遺跡の一部、オスティア6)、エルコラーノ7)、ポンペイ8)がそれらの周辺に位置する中規模都市遺跡、Cazzanello9)、Settefi n-estre 10)、Cottanello 11)、Poggio 第 1 図 遺跡の位置                3) 東京大学は、これらエトルリア地域におけるローマ研究の空白を埋める目的で、タルクィニア市Caz-zanello におけるローマ別荘遺跡の発掘調査を開始した。4) Ricci, M. 19985) Arthur, P. 19946) Ciarrocchi, B. 19987) Scatozza Höricht, L. A. 19968) Di Giovanni, V. 19969) 図版は全て筆者10) Ricci, A. et al. 198511) Sternini, M. 2000

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イタリア半島中部におけるCeramica comune da fuoco/tegame の編年研究(岩城)

Gramignano12)が、荘園管理事務所としての機能も併せ持つ郊外型の別荘遺跡である。研究対象とする資料が、金属製品やTerra sigillata などの高級土器類である場合、これら遺跡の性格の違いは、当然所有者あるいは使用者の社会的地位や保有資産の差に応じた、出土量や出土傾向の違いとして現れてくるため、このことに留意して研究を進めていく必要がある。しかし、CCFの場合、これらが最も基本的で日常生活に必要不可欠な調理器具であり、かつ使用者が奴隷、もしくは貧しい市民であると考えられるため、公共建築などの調理器具を必要としない性格の遺跡でない限り、どのような遺跡であっても、質・量ともに安定して普遍的に出土する。そのため、遺跡の性格差の問題は、CCFの編年研究をすすめるうえでの障害にはならない。 これらの遺跡のうち、Cazzanello を除けば、Carminiello ai Mannesi と Poggio Gramig-nano の2遺跡が、CCFの報告資料数が豊富である。特に、Poggio Gramignano は、出土土器資料の報告図版に 100 ページ、その内、CCに 63 ページ、さらにその内CCF13)に 50ページも割いており、既存の他の報告書のレベルから言えば、極めて異例とも言える内容の報告書である。本論では、これら2遺跡と、筆者が直接分析したCazzanello の出土資料を軸にして、イタリア半島中部における浅鍋を見ていきたい。特に4世紀から7世紀までの資料が豊富であり、これらのCazzaanello 出土資料の中には他遺跡にはない特徴も見られるので、この時期について重点的に編年を構築したいと考えている。

2.浅鍋の編年

 分析対象の浅鍋を、単純口縁もしくは外側への折り返し口縁の1型と、肥厚口縁あるいは内側への折り返し口縁の2型に分類し、それぞれについて、細かく分析して編年を構築する。紀元前1世紀から3世紀については、対象資料数が少ないので、1型と2型を1図版にまとめて検討する。4世紀から7世紀までに関しては、1型と2型を別図版で検討する。さらに、1-5型と2-2型については、資料数が多く詳細な分析が可能なため、単独の別図版で検討する。したがって、編年図は全部で5図を数える。

2.1.紀元前1世紀から3世紀まで(第2図) 1型は、口縁端部先端面に沈線が一条はいる二裂口縁のもの(1-1型)、底部から口縁端まで一貫して内湾しながら断面は円弧を描き、単純口縁を形成するもの、いわゆる「pi-atto(皿)」型(1-2型)、1-2型よりかなり緩やかなかすかに内湾する程度の器壁が、斜め上方から真上方に立ち上がり、単純口縁を形成するもの(1-3a 型)と、この1-3型の内、口縁端部がわずかに外反するもの(1-3b 型)、1-2型同様に内湾する胴部をもつが、その後口縁端部が外反もしくは外側に屈曲し、折り返し口縁状を呈するもの(1-4a 型)、1-4型の内、胴部の内湾が弱く、器壁が外側に倒れているもの(1-4b 型)、内湾しない胴部器壁が、外側斜め上方に立ち上がり、外側に折り返し口縁を形成するもの                12) Soren, D., Soren, N. 199913) Sternini, M. 2000 報告書では、Ceramica da cucina となっている。この表現に、非被熱調理器具であるすり鉢などを含む場合があるが、上掲の Soren, D., Soren, N. 1999 では、それらは含んでいない。CCFと全く同義で使われている。

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第2図 紀元前1世紀から3世紀までの編年(S=1/4)

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(1-5a 型)、1-5型の内、折り返し口縁端部が肥厚して丸みを帯びるもの(1-5b 型)の5種8細分とする。 2型は、ほぼまっすぐ外側上方に立ち上がる器壁で、口縁端部全体あるいは、外側が肥厚しているもの(2-1a 型)、2-1型の内、主に口縁端部内側が肥厚しているもの(2-1b 型)、内側への短くて丸みを帯びた折り返し口縁を持つもの(2-2a 型)、2-2型の内、折り返し口縁端部先端が尖っているもの(2-2b 型)、2-2型の内、折り返し口縁端部がつまみ上げたような小型のもの(2-2c 型)、2-2型の内、折り返し口縁端部の反対側、屈曲部外側にも突出部が形成されているもの(2-2d 型)、2-2型に比べて長い折り返し口縁端部を持つもの(2-3a 型)、2-3型の内、口縁端部が尖っているもの(2-3b 型)、口縁端部内側にかえし状の肥厚口縁を持つもの(2-4型)の4種9細分とする。 以上、全部で9種 17 細分となるが、この内、1-5b 型、2-2b 型、2-2c 型、2-2d 型、2-4型は、4世紀以降にならないと出現しない。一方、1-1型、1-2型といった、いわゆる「piatto(皿)」型は、3世紀頃を境に見られなくなる14)。また、第2図2や 10 の例に見られるような両側面への把手の付加は、1世紀から2世紀にかけては、中南部のヴェスヴィオ山近郊で良く見られる。この時期に把手がつくのは、主に1-4型のような胴部が内湾するタイプであり、後に把手がつく対象が2型にシフトしたときも、やはり胴部が内湾するタイプが好まれた。この影響は、海路伝いにOstia あたりまで影響を及ぼしたようで、何点か把手付の土器が出土している。中には、第2図 19 例に近似した直線的な器壁を持つ、本家のカンパーニャ産には見られないような型に把手を付加した例も見られる15)。また、第2図 18 例に初めて現れる胴部外面に施文された波状沈線は、4世紀以降、Cazzanello の浅鍋には標準的な装飾要素となっていく。

2.2.1-2型・1-3型・1-4型の編年(第3図) 1-2型に関しては、すでに述べている16)ように、4世紀以降ほとんど見られなくなっており、生産されなくなったと考えられる。第3図1の例に関しては、1-2型終末期の最後の残存であろう。1-3b 型では、Cazzanello においては3世紀から波状沈線による装飾が行われており、以降、第3図3・4・14・20 と7世紀にいたるまでCazzanello におけるほとんど全ての出土例に同様の沈線文が見られる。第3図 14 例を除けば、口径も20cm前後と一定で、口縁端部直下の沈線の線数こそ違え、波状沈線の波長や波高はほぼ一定である。しかしながら、Settefi nestre、Ostia といった近隣の遺跡からは、このような出土例は見られない。Carminiello のように、他の例を見ても海上交通を通じてお互いに影響関係があると思われる遺跡からは、第3図 18 例のように、口縁端部直下外側に太い沈線がめぐるなど、第3図 20 例に酷似した例も出土しているが、それですら波状沈線                14) これらの土器と形状、機能は全く同じで、赤色の化粧土が内側に施されている点でやや高級品に属するCeramica a vernice rossa interna の「皿」型も、3世紀初頭を最後に生産が打ち切られたとされる(see Ricci, A. et al. 1985, vol.3 pp. 107-108)。一方で、残存製品の出土例は、古代末期まで見られるともされている。本論第3図 16 の例に見られるように、4世紀以降ほとんど出土していない1-2型が7世紀のコンテクストから突如現れるという現象は、上記の例と同じような事態による偶発例と考えられるであろうか。15) Ciarrocchi, B. 1998, p. 408 fi g. 1016) 注 14 参照

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第 3 図 1-2・1-3・1-4型の編年(S=1/4)

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は施文されていない。1-4a 型は testo da pane = パン焼き皿と形状が似ていることもあって、報告書によっては、パン焼き皿として掲載されていることがある。第3図 21 の例もそのひとつで、引用元の文献では、パン焼き皿と説明されている17)が、胴部器壁が薄すぎることと、直立しすぎていること、口径が小さすぎることなどから、パン焼き皿ではなくて、浅鍋であると考えた。1-4b 型の第3図 15 例には、胴部外面に波状沈線が施文されている。これは、1-4型としては、唯一の施文例であるが、それ以上に注目すべき点は、この個体に施文されている波状沈線が、Cazzanello のその他の個体とは全く趣が異なるということである。Cazzanello の通常の施文波状沈線は、彫刻刀で彫りこんだような深くはっきりとした沈線であり、胴部外面全体を使って大振りに施文されていることが多い。さらには波長や波高などの波形に関しては全く安定せず、なぐり書きのように施文されている。それに対して、第3図 15 例の波状沈線は、非常に細く繊細な線で、波高や波長を均一に揃えて胴部外面中央にまっすぐに施文されている。これだけ相違点が多いと、同一産地の生産品とは考えにくいのではないかと思われるが、どちらの製品も胎土を観察する限りでは、おそらく近隣の生産品であると考えられる。遺跡への供給ルートについて十分な検証が必要であろう。

2.3.1-5型の編年(第4図) 1-5型に関しては、第4図を見れば分かるとおり、全てCazzanello の出土資料である。第2図5の例にあるように、1世紀の段階にまで遡って存在を確認できるが、数は非常に少ない。その状況から、ある程度の個体数が確認できるようになるには、4世紀をまたなければならなかったわけだが、4世紀の段階に至っても、第4図3・5例に見られるような折り返し口縁部の小ささと単純さ、さらには、4世紀末頃と考えられる第4図6例を除いては、未だ波状沈線の施文が見られないことなどの点で、後にみられるようなその独自性を確立しているとは言いがたい。1-5型が、本格的にその特徴を現し始め、個体数も飛躍的に増加させるのは、5世紀からである。そして、すでに述べたように、この1-5型には1-3b 型と同じく、相当数の個体胴部に波状沈線が施文されているという特徴があるが、逆に考えると、第3図 13 の例を除けば、波状沈線が施文されるのは、1-3b 型と1-5型に限られるということになるのである。この点については、結論の項で検討する。波状沈線の施文傾向に関しては、これといった傾向は捉えられなかったが、5世紀から6世紀にかけて、第4図8・14・15 例のように、胴部外面、主に上半部に帯状に条痕文が施文されるケースが現れることと、どちらかといえば波長が長くなる傾向が見て取れる。また、複線数の波状沈線が施文される場合、互い違いにお互いの波長のピークを逆にとるように施文されるのが通常であるところ、第4図 19 例では、2本の沈線が完全に並走した状態で施文されている。また、同じ第4図 19 例では、口縁折り返し端部の構造が理解できた。まず、端部を側壁外面にまで折り返し、その状態で、胴部外壁表面の胎土面を削り取るようにしながら持ち上げてきて、その土で、折り返し部分の空隙を充填している。この成形法は、6世紀以前とは明らかに違っており、例えば、第4図 11 例の折り返し部分が、巻き込んだような丸さを持っていて、胴部器壁厚がほとんどの6世紀以前の個体で

                17) Ricci, M. 1998, pp. 353-355

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第 4 図 1‒5型の編年(S=1/4)

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第 5図 2-1・2-3・2-4型の編年(S=1/4)

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第 6 図 2-2型の編年(S=1/4)

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イタリア半島中部におけるCeramica comune da fuoco/tegame の編年研究(岩城)

一定であるのに対して、第4図 20・21 例は、のど元をえぐられたような断面をしている。それとともに、7世紀段階になると、第4図 18 例のように、1-5型の範疇からはやや逸脱しているような個体も現れている。

2.4.2-1型・2-3型・2-4型の編年(第5図) 2-1型については、2型全般からするとやや異質な感じがするのは、やむを得ないことだと思われる。実際のところ、1-4b 型のうち、2型に近い要素を多く持つものと、2-1b 型のうち、1型に近い要素を多く持つものは、おそらく同じものになるのではないかと考えられる。これらは境界線に近いところに位置しているということであろう。2-1型・2-3型・2-4型ともに、初期段階から最終段階まで器形のヴァリエーションが豊富で、そのためか、時系列の変遷において、変化に系統性を見出すのが非常に困難である。Caz-zanello に関して言えば、ヴァリエーションは豊富ながら、出土点数はかなり少ない。図版上に載せているものは選りすぐりの何点かというよりは、出土した全点というほうが近い。将来的には、資料数の蓄積を増やしたうえで、型レベルでもう一段の分割が必要ではないかと考える18)。

2.5.2-2型の編年(第6図) 2-2型は微細ながら、口縁部にさまざまな変化があり、結果として、aから dまで4つに細分されている。2,3 世紀を経て、4世紀に入る頃には、まだ小さな折り返し口縁にさまざまな変化をもたせただけの土器群であった。この段階を代表するのが、第6図2と、同じく第6図8の2点である。それが6世紀頃になると、第6図 15・18 例のように、2-2d 型に深さを持つ個体が増えてくる。さらに7世紀に入ると、それまで、第6図9例から第6図 16・17 例へというように、6世紀に入っても「皿」型に近いフォルムを守っていた2-2c 型も、第6図 19 例のように深さを持つようになる。そしてその後7世紀後半に入ると急激に衰退して勢いを失っていく。この間の経緯、なぜ深さを持つようになっていったのか、さらにその後すぐに衰退していったのはなぜかということについては、今のところ理由が分からない。2-2型を中心とする2型全般に関わる問題としてもうひとつ興味深い事実がある。テヴェレ川中流域の内陸部に位置する Poggio Gramignano と Cot-tanello の別荘遺跡からは、これら2型に属する浅鍋しか出土していないのである。Pog-gio Gramignano からは厳密に言うと、第2図3・15 例に見られるように、典型的な1-2型の出土例が数点はある。しかしこれは、Poggio Gramignano の報告資料点数から見ればほんのわずかな数字であり、さらに言えば、1型と2型の分化がまだ完全ではなかったとも言えるごく初期の段階の、「皿」型模倣の製品のみであって、その後本格的に2型と分化し独自に発展していった1型とは違う。これら2遺跡は内陸の山間部に近い立地ではあるが、テヴェレ川流域にあって、ローマとの交通の便は悪くない。現に、アンフォラの分析を見る限り、イタリア、ヒスパニア、ガリア、北アフリカ、オリエントと主要な産地のアンフォラは勢ぞろいしており19)、他地域との交流に制約があったという可能性は考                18) 第5図 17・21 の2点に関しては、浅鍋とするにはやや口径が小さすぎる印象がある。後どれほど側壁が立ち上がるのか、底部はどのように展開するのか、それと、器壁の傾きは本当に正しいのか、それら次第によっては、浅鍋編年からははずさなくてはならないかもしれない。

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人文社会科学研究 第 20 号

えられない。

結論

 ここまでの分析で、ひとつの問題点が浮かびあがってきた。それは地域差の極端さということである。まず1-5型の存在に関する問題から考えてみる。1-5型は、1-3b 型も合わせて、これらのみが、波状沈線によって胴部装飾を施されているという特徴を持つ。しかしながら、近隣の遺跡での類例がない。かろうじて、1-3b 型の類例はあるが、それも波状沈線を持たないものである。他の遺物群にはいろいろな地域間交流の結果が見られるにも関わらず、1-5型が Cazzanello だけに存在するのはどういうことであろうか。Cazzanello の別荘内における小規模自家生産品とするには、出土量も多く、土器の質も高い。やはり何かしらの専門的な供給源を想定しないわけにはいかない。その場合、供給先がCazzanello のみということは有り得るのか。さらには、Poggio Gramignano、Cotta-nello における、1型の不在という問題である。この場合、1-5型に関する問題とは、現象が全く逆であるが、問題の本質的な部分は同じことである。地域間交流があることは、他の遺物群から確認されているにも関わらず、浅鍋の1型のみがこの地域に流入しない、あるいは影響を与えないということが考えられるのであろうか。残念ながらこれらの問題はその存在を確認したのみで、本論において、この問題に結論をだすことは不可能である。今回については、しかしながら、1-5型という特徴のある遺物群を認識できたということと、それも含めて、非常に手薄であった4世紀から6世紀あたりまでのイタリア中部CCF編年を大きく補強できたという点が成果と言える。また全体を概観した時に、2型について、5世紀以降の段階で、それ以前の倍近い深さを持つようになっていく傾向が見てとれたことも成果である。このことは、深さを持つようになっただけではなく、底部面積の減少という事実も伴う。これによって調理器具としての構造が大きく変化したということは、おそらく、原因として、要求される機能に変化があったということであろう。7世紀に入って2型の出土量が減少するようになってもなお、浅鍋としては1型が存続していたことからも、浅鍋そのものに対する需要が無くなったわけではないと考えられる。今後は、編年の強化とともに、2型の機能変化と衰退という流れを仮定するとして、その背景を解明して、仮定の検証を進めていきたい。

引用・参考文献Aoyagi, M. (ed.) (1995) Preliminary Report of the Excavation 1994 of Roman Villa at Cazzanello

(Tarquinia), Annual report of The Institute for the Study of Cultural Exchange No.11, The Uni-versity of Tokyo, Tokyo.

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イタリア半島中部におけるCeramica comune da fuoco/tegame の編年研究(岩城)

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人文社会科学研究 第 20 号

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図版出典 (資料毎のキャプションに対応)Cazzanello: 筆者 , Cottanello: Sternini, M. 2000, Ercolano: Scatozza Höricht, L. A. 1996, Napoli: Arthur, P. 1994, Ostia: Ciarrocchi, B. 1998, Poggio Gramignano: Soren, D., Soren, N. 1999, Pompei: Di Giovanni, V. 1996, Roma: Ricci, M. 1998, Settefi nestre: Ricci, A. et al. 1985